三渓園の早朝観蓮会〜古代から江戸時代の蓮の花のお話し〜

IMG_0656横浜の本牧三之谷にある
三渓園の早朝観蓮会へ行って来ました。

明け方からゆっくりと開き始め、朝7時頃いちばんの見頃を迎えた後は、9時頃から閉じ始め、昼には完全に閉じてしまう蓮の花。

三渓園では毎年、蓮の花の開花時期に開園時間を早めて早朝観蓮会をしています。

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昨日は早起きをして7時には三渓園の蓮池へ。
このところの猛暑続きもあってか、時期的に少し遅かったかな?昨夜も熱帯夜だった事もあってか、時間も7時では少し遅かった様で、すでにじりじりと照りつける様な日差しの中で、みずみずしいとまでは行かない姿の蓮の花でしたが、すっと気品を漂わせて美しく咲いていました。

 

日本には弥生時代以前に、大陸から渡って来た人々によってもたら
されたと考えられている蓮。

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『古事記』にも「日下江の入り江の蓮 花蓮 身の盛り人 羨しきろかも」と、蓮の様に美しく若々しい人が羨ましい事だ、という歌が残されているそうです。

 

平安時代に入り、仏教思想が貴族たちに浸透してくると、蓮は釈尊と縁の深い
聖なる花として扱われ始めました。

IMG_0651鎌倉時代の寝殿造りの庭園には、中核の池に蓮が植えられていたとありますが、
この頃の「和蓮」と呼ばれた一重咲きの蓮は、園芸種としてはさほど人気は
なかったそうです。

江戸時代に入り、泰平の世が続くと、武家屋敷にも蓮が植えられる様になり、元禄の時代になって、中国から「唐蓮」と呼ばれる花の美しい多彩な品種が
導入されると、観賞用として好事家に愛好され栽培される園芸種として人気を
集める様になったそうです。
大名や有力な旗本にも蓮の愛好家は多く、なかでも老中職を退いた松平定信は、隅田川河口の霊岸島に「浴恩園」と名付けた庭園を造成し、百種近くの品種を植え、それらを自ら筆をとって描いたと伝えられる『清香画譜』という蓮の品種名を記した画譜を残しています。

IMG_0654また、不忍池では、唐代の風流に習って「観蓮節」が催され、江戸の名所と
なり、見頃には蓮茶屋も繁盛したとあります。

(以上斜体部分参考図書「週刊花百科18はすと睡蓮」講談社/「江戸の花競べ」小笠原左衛門尉亮軒・著・青幻舎)

上野の不忍池の蓮の花もいまが盛りでしょうが、蓮の花だけは、江戸時代から変わらない姿のままなのでしょうね。